正直乗り気ではなく、誘われていなかったら、参加するつもりはありませんでしたが、行ったらすごく楽しかったです。
フェイスブックの参加者は私一人なのですが、実際は14人ぐらい女性が集まって、同数の男性の参加者も集められていたので、なかなか大所帯のツアーでした。
男女2人ずつの班別行動という、婚活要素なしの割には、婚活を感じさせる進行でした。
若い女性が多くてびっくりでした
もう、自分が年齢を言いたくないので、聞きはしないので、正確にはわかりませんが、20代が多かったと思います。
割と今時のファッションに身を包んだ若い女性が多い印象でした。
案内側の会津の男性たちも、若い人が多かったので、安心しました。
私はただの参加者なのですが、どこか運営側のような気持ちになっていました。
最後のお別れ会のあと、高速バス乗り場まで自主的にお見送りに来てくれた男性たちも何人もいたし、女性たちも、タクシーでの移動中の車内の雰囲気からも、かなり楽しんでいるのが伝わって来て、よかったなあと思いました。
私も楽しかったです。
会津の男性は優しいのかもしれません
私も会津の女性な訳ですが、会津の女性は、芯が強いのですよね。
そういう女性が地域全体で育つということは、芯の強い女性を育てる環境があるということです。
それは、雪国だから、我慢することでそうなると、気候風土に理由を見つけがちですが、男性の懐の広さもあるのかもね、と、昨日は感じました。
とにかく彼らは優しいのです。
誇り高い人たちなので、女性をちやほやしたり、ご機嫌をとったり、は、苦手だと思いますが、女性を人として尊重する、ということが当たり前にできる人たちなのかもしれないと思いました。
うわべのご機嫌は取らなくても、心で接してくれて嘘がないので、居心地がいいんですよね。それで、案外気が利くというか、人の気持ちを察することに長けているところも、会津の人にはあると思いますし。
強い女性は、東京だと、結局、居場所がないというか、それでも強くあってしまう、という感じもあると思いますが、会津の男性はいいかもしれません。
私は縁がなさそうな気がしますが。
会津に嫁いでパワーアップした女性たち
ほとんど婚活ツアーのような状態になっていましたが、今回のツアーのコンセプト一つが「会津の女性に会いに行こう」で、地元で活躍する女性たちの話をきく時間がありました。
4人の女性のうち、2人が他県から嫁いで来た女性で、一人がUターン、一人は、ずっと地元の会津に住みながら首都圏の仕事をしているフリーランスの女性でした。
全員で話を聞いた後、グループで詳しく話を聞く機会があり、私は、会津の名家に嫁いで来た、同世代ぐらいの女性のグループになったのですが、まあ、パワフルでした。
もともとの素質としてパワフルな女性ではあると思うのですが、それを発揮できる環境があるのかなあと思いました。
もちろん、そこでの苦労というのは、嫁いだ頃はすごくあったとおっしゃっていましたし、今だって、色々抱えているものは、当然あると思いますが、それにしても、すごかったです。
もう一人の嫁いで来た女性とは、詳しくお話をする機会はありませんでしたが、彼女も、会津の中でも、昔の風習が残る地域に嫁いで行って、それでも自分のやりたいことを実現している女性で、強かったです。
二人とも東京で働いたことがあって、会津の男性と知り合って嫁いで来たそうなのですが、多分、東京時代より、パワーアップしていると思います。
それもやっぱり、女性の活動を制限するのではなく、理解して受け入れる男性の度量があるからこそなんだと思うんですよね。
会津人の、私の弟二人も、母親から話を聞く限りだと、自立した女性が好きなようですし。
名刺を忘れるという痛恨のミス

すでに移住することを決めている女性や、今すぐではなくても移住を検討している女性も参加していて、地元で働いている男性たちとの交流もあったので、そういう意味でも有意義な出会いはありました。
なのに私は名刺を忘れたという、これはちょっと悔やまれます。名刺がなくてもアピールできればよかった、と、後悔した場面も。
なので、会津木綿の名刺入れを買いました。会津木綿は高級らしいのですが、これは七日町のお店で1,000円以内で買えました。
いつも、パソコンと一緒に名刺を持ち歩いているのですが、パソコンを持たないとき用のカバンに入れて使おうと思います。
次回の開催は2月だそうです
もうすでに、次回の参加をほとんど決めている方もいました。
バスの中で、隣の女性から、「次も参加しますか?」とも聞かれました。そんな彼女は、まだ決めてはいないけど、次も参加してもいいかな、という気持ちにはなっているようでした。
次回の詳しい情報は、「会津若松市定住・二地域居住推進協議会」facebookや会津若松市のホームページでチェックしてください。
2月は年齢や性別を限定せず「仕事探し」をテーマとした内容を計画しているそうです。
私がこれから会津でしていきたいこと
若い女性で、会津に移住したい、という人が、いる、ということを知れたのがすごく収穫でした。
でも、結婚で来るならいいけど、そうでないと。というようなことも、具体的な選択肢としてみたときに、感じている方もいるようでした。
実際、会津も、若い人が都会に出てしまう田舎ではあるので、そこに、東京に慣れた若い女性が、一人で来たら、生きていけないよなあ、と、思います。
そこで、私が、パソコンの仕事を若い人に教えて、地元にいながら、よその地域からお金を稼ぐという流れを作れたらいいから、微力ながらも、そういうことをしていきたいなと思います。
若い女性がいるとなれば、帰って来る男性もいるでしょうし、そもそも出ていかない男性もいるでしょうし、せっかく、よその人からも魅力的だと思ってもらえる土地なので、雇用を生み出したい、そのお手伝いがしたいと思いました。
トップの写真は野口英世青春通りにある、野口英世の銅像。「忍耐」と書いてあります。
「忍耐」だったり、「ならぬものはならぬ」だったり、時代錯誤な標語が至る所でみられる会津若松、しかし、その精神で生きるのが、会津人なんですよね。